#4

 応明学園生徒会執行部。応明学園の学園行事その他を取り仕切る生徒による生徒のための組織。具体的に言えば球技会やら学園祭やらの企画、運営、準備などを執行部で行うというものだ。まあどこにでもある普通の生徒会なんだけど。
 その生徒会室は一階の職員室の横の部屋に本部を置いている。他にも生徒会が持っている部屋が旧校舎の方にあるが、そこは昔の資料などが置かれている、要するに物置らしい。つまりよほどのことがないと誰も近寄らないわけで、どこぞやの生徒が隠れて昼寝をしているとか、こっそり逢引をしているとかいろいろな噂が絶えない場所でもある。
 で、俺たちはその旧校舎のほうではなくて本部のところに案内された。橘先輩は引戸をガラガラと音を立てて開けて振り向く。
「さあ、どうぞ」
 橘先輩に勧められて中に入る。中は思ったより広く、綺麗に片付いている。中にあるのは二つの長椅子を合わせて作った机、その傍らに椅子が十個、壁際に資料などが入っている本棚にパソコン。そのパソコンで作業をしている執行部の男子生徒が一人。俺たちが入るのと同時にその男はこっちに振り返った。
「……何か?」
 男は眼鏡を中指で押し上げた。俺はこの男に用はないけど。
「あー、新井君居たんだ、邪魔するね」
「いえ、それより橘さん、関係ない人たちをこの部屋に入れるのはあまり好ましくありませんね」
「あんまり表立って話したくなかったから。旧校舎って盗聴器が仕込まれているんだもん、だからここぐらいしか思いつかなくって」
「……盗聴器、ですか。まったく、暇なやつもいるもんだ」
 新井――たぶん先輩だろうな。一応敬語で会話をしているところを見ると、橘先輩よりは年下か、または立場が低いか、あるいはただのエリートぶってるむかつく野郎か……まあどうだっていいんだけど。
「二人とも座って」
 橘先輩が促して俺たちは椅子に座る。あいつは俺と椅子一つ空けて座った。……まあいいんだけどさ。
「さて、浅羽君と――えっと、あなたの名前は?」
「…………」
 あいつは口ごもった。確か、昨日の告白されたときに名字を言われてたような……何だっけ?
「……山戸」
 やまと、と彼女は小さく呟いた。そうそう、変ではないがあまり聞きなれない名字だったなと思う。俺のはかなりポピュラーすぎて面白くないな。
「ふーん、山戸さん、ね。――名前は?」
 口ごもる山戸。
「……言いたくありません」
 敬語で否定。言いたくないってどんな名前なんだ? 恥ずかしいのか? ――まったくひどい名前を付ける親もいたもんだ。
「言いたくない、か。まあ実は知っているんだけどね。山戸撫子さん?」
「――!?」
「ぶっ!?」
 思わず噴いた。だ、だ、だってさ、「やまとなでしこ」だぞ! 日本女性において慎ましさと奥ゆかしさと美しさその他全ての美称を極めた女性に贈られる異名だぞ! いや、俺の言っていることは大げさ過ぎるかもしれないが、少なくともこいつには撫子ってイメージが……。
「――っ!」
 山戸撫子に睨まれた。椅子に座っているのに腰が抜けてしまうほどの恐怖と威圧、そして殺気を感じた。大和撫子はそんなことしないよ! と無駄に抵抗してみる。心の中で。
「……知ってて訊ねてくるのはどうかと思いますけど?」
「まあ、知ってるというよりも有名だから、と言ったほうが分かりやすいかな? メロメロハンターの山戸撫子さん?」
「っ!?」
「ぶぶっ!?」
 噴くしかなかった。だ、だ、だってさ、メロメロハンターだぞ! メロメロって、一体いつの時代だよ! しかもハンターってお前――
「……殺すぞ」
 すいません。調子に乗りすぎました。メロメロハンターでも何でも勝手にやっててください。と無駄に反抗してみる。もちろん心の中で。
「学食のメロンクリーム入りメロンパンを必ず一番に買い占める超美少女の噂。あまり目撃証言もないし、買った後どこで食べているのかも謎だったんだけど、決定的な目撃者が現れて正体が分かったの。山戸撫子さんで間違いないってね。もう学園で知らない人はいないんじゃない?」
 俺は知らなかったけど? という突っ込みは無しの方向で。
「――その話と、わたしをここに連れてきた理由にどんな関係があんだよっ!」
 机を勢いよく叩いて山戸は立ち上がった。俺は横で思わずすくみ上がってしまったが、対峙している橘先輩はまったく動じていない。すごい精神力だなと感心する。
「――早い話、あの掲示板に貼られている写真は、山戸さんの隠れファンクラブの人が撮ったものだとあたしは見てるの。あたしと同じでいつも誰かに隠し撮りされているでしょ、山戸さん?」
「な……!?」
 隠し撮りされてんのかよ君たち。まあ確かに顔は可愛いし、体操着とか着ちゃった暁には、その女性らしい曲線の芸術と揺れる揺れる極上パラダイスの競演によって、闇ルートでプレミアついちゃってさあ大変。一枚くらいは欲しいかもしれないが、バレたら学校に行けないね。どうでもいいけど。
「あの写真は普通の人が見ればただの知らない人が写っている卑猥な写真だけど、知っている人が見れば……例えばあなたのファンクラブの会員たちが見たらどうなるか」
 普通に考えれば相手を探し出してフルボッコだろうな。因みにフルボッコっていうのはいわゆるボッコボコと完全にという意味のfullを合わた言葉だ。きっと。
 つーかそれ以前の問題で、あの写真は普通に停学とか厳重注意とかそういうレベルの写真だよね。そこんところどうなんですか橘先輩? さっきからそれが気になっている俺は橘先輩の言っていることを右から左へ受け流している。
「さて、ここからが本題」
 仕切りなおして橘先輩が言う。
「さっきも言ったとおり、あの写真ではどこの誰が写っているのかは分からない。でも分かってしまう人が少なからずこの学校にいる。そうなると、あなた達二人のことが周りに知られて困ってしまうことになる。そこであたしは提案。あの写真は誰かが合成ソフトで作った悪戯だったってことにする。その代わり、あなた達は私たちの手伝いをしてもらいたいの」
「手伝い?」
「いわゆるヘルプね。五月のゴールデンウィーク空けにちょうど球技大会を予定しているのよ。そのお手伝いね」
 ちょーめんどくせえ。
「……なんとなくですが、先輩があの写真を使ってわたし達を使おうとしているように思えるんですが?」
「そんなこと言うんだ。あたしは構わないわよ。二人揃って一週間の停学になってもね」
「なっ!?」
 やっぱり停学になるのかよ!
「その一週間で学校中の噂になってるわよ〜。やっぱりあの二人だったのか〜、とか。一週間学校来ないで、浅羽君と、毎日何してたのかな〜、とかね」
 ふふふと笑う橘先輩。……完全に俺たちの勝ち目はないみたいだ。
「……分かった。手伝えばいいんだな」
 俺は観念して執行部のヘルプをすることにした。隣で舌打ちをする山戸。こっちも観念したのだろうか。
「浅羽君にはもう一つ条件があるの」
 は?
 何だか嫌な予感がした。
「浅羽君。あたしと付き合う気はない?」
「え……え?」
 至極、普通に、何気ない会話のように言われた。あっさりすぎるその言葉、だがその意味は俺のちっぽけな脳みそを思考停止させるのに十分な破壊力を持っている。俺は答えることはおろか、言われたことを鼓膜の辺りで跳ね返して何も聞かなかったことにするのに精一杯だ。
「ほら、あたしたちが生徒会室に入った時点で、あの写真の人物があなた達だって疑われているかもしれないじゃない? その人たちには生徒会のヘルプの説明で、って言い訳が出来るけど、それでも完全に疑われなくなるわけでもない。そこで、あたし達が付き合っているってことになれば――」
「――学校中が騒然となりそうだな」
「そう。あんな写真のことなんか、すっかり忘れるほどね」
 果たしてそうだろうか。むしろあの子とあんなことしておいて女神様まで手を出すとは――といったことになりそうでかなり怖い。それに、何というかこう。そんな戦略的に女子と付き合うのはちょっと、俺の感情が否定する。俺はオッケーかノーか分からないから勇気を振り絞って「好きです、付き合ってください」的な告白を望んでいる訳で。
「……橘先輩は、それでいいのか?」
「いいのよ、あたしは。だって本当に浅羽君のこと、好きだもん」
 にこり、と橘先輩は微笑んだ。可愛い、と素直に感じてしまう笑み。恥ずかしいことをいとも簡単に言ってのける度胸。カッコいいとすら思える。
 ……本当に、何で俺なんだ。カッコいいとか、勉強が出来るとか、スポーツ万能とか、人を魅了する要素なんてどこにもない俺に、どうしてそういうことが言えるんだ。
「――浅羽君は、あたしのこと好き?」
「え? いや……まだ」
 好きではないが嫌いでもない。要するに他人に等しい距離。いや、橘先輩のことを何も知らないのに勝手に周りからの印象と評判と噂で橘先輩はこういう人だとレッテルを貼っていた。俺みたいな馬鹿には見向きもしない人であり、これからも人生のエリートを突き進む人であろう、と。
「そう。――あたしは思うの。人が人を好きになる理由はね、後から自分で作ってしまうものよ。他人にどこがいいのって訊ねられたときのためにね。本当の理由は言葉になんて出来ないものよ」
「橘さん」
 急に声を掛けてきたのは新井先輩。絶妙なタイミングで予鈴が鳴り響いた。
「球技大会のアンケート用紙、完成しました」
「……ご苦労様。次も宜しくね」
 新井先輩は眼鏡を中指で持ち上げると、ドアを開けて外へ出て行った。……まあ、完全に浮いていたからな。さっさと逃げ出したい気持ちも分かる。
「……で、浅羽君?」
 俺の結論は決まっている。
「――お友達からでお願いします」
「――ぷっ」
 手で口を押さえ、肩を震わせて先輩は笑った。意気地なしとか思われようが、これが俺なんだ。先輩の隠れファンクラブに変な因縁を付けられても困るからな。
「あたしが告白して一発オッケー出なかったの、浅羽君が初めてよ」
「どうも」
 先輩も告白している経験があるのか。でも付き合っている人はいないはず。なかなか複雑な人生を経験しているようだ。だからこそ、こんなに大胆に行動に移せるのだろうか。
「じゃあ、二人とも携帯の番号とメアド教えて。基本的にそこに連絡するから」
 え? このお隣さんとも交換しないといけないの? でもほら、メロメロハンターさんがちょ〜怖い顔で俺を見ていらっしゃるんですけど。
 と思ったら、山戸がスカートのポケットから折り畳み式のピンクの外装した携帯電話を取り出した。おそらく英雄である。どうでもいい話だが、携帯電話会社はシェア一位のセルフォンと二位の英雄、そしてウェーブの三社である。セルフォンはほぼ全国的に電波が安定しているので仕事用に使っている人が多いためシェアが多いのであり、プライベートで使うのであれば、友達同士とか家族内なら無料など激安プランが充実している英雄かウェーブを使う。因みに俺が使っているのはセルフォン。親の仕事柄、そういうものにされてしまった。
「二人とも赤外線使えるわよね?」
「ああ」
「……?」
 あれ、山戸さん? 何ですかその外国語を言われたような反応は。
「……あら、山戸さん。もしかして赤外線使えないの?」
「――使ったことはない」
「そう……じゃあ携帯あたしに貸して」
「――変なところに触らないでくださいね」
 分かってる分かってるーと橘先輩は山戸の携帯を弄り始め、間もなく二つの携帯をお互いにくっつけた。どうやら赤外線通信機能はついていたらしい。数分もしないうちに橘先輩は山戸の携帯を返した。そして俺の方を向き、
 にっこりと微笑んだ。思わず目線を横にずらす。まさか最初からこれを狙っていたんじゃないだろうな?
「――隙あり!」
「おおうっ!?」
 一瞬で俺の携帯を奪われた。いやあの、俺赤外線の使い方知ってるから。そんな一人で二つの携帯をくっつけなくても俺が片方持ってやりますから。なんか他の情報も取られてそうで怖い。
「はい」
 ニコニコと背景に大満足の文字を掲げて橘先輩は俺の携帯を返してくれた。
「……どうも」
「さて、授業が始まっちゃうね。二人もちゃんとお互いのアドレス交換するのよ」
 そう言って橘先輩は優雅に立ち上がり部屋を出て行った。残ったのは俺と携帯をおぼつかない手つきで弄っている山戸の二人だけ。え、えっと……一応、声だけは掛けておくか。
「山戸?」
 その一言で山戸が現実に戻ってきたようだ。周りを見渡し、俺と二人だけの状況になっていることを確認。みるみる目付きが不機嫌モードに変わる。
「……一つだけ、お前に確認したいことがある」
 唐突に山戸はそう切り出してきた。
「何だ?」
「あの写真は事実か?」
 その答えはイエスだろうな。だがここでそう言ってしまうと俺が殺されそうだ。しかし、ノーだと言ったとしても、今度は橘先輩がこの話を切り出してくるはずもない訳で。
「――ああ、あの時に撮られたもので間違いないと思う」
 言っちゃった。さあ何が来る? 手か? 足か? それとも意表を突いて頭突きとかか?
 しかし、山戸は何も仕掛けてこなかった。変わりになんとも複雑な表情をして、
「そうか……」
 と呟いた。そんな反応されてたら俺も困るんだけど。どうする。先に教室に戻るか?
 先に口を切ったのは山戸だった。
「携帯」
「――は?」
「赤外線」
 え? 赤外線? 断片的に言われても……。まあ言わんとしていることは分かる。赤外線でアドレス交換しようと言うことだろう。しかしさっきの様子からその方法が分からなかったはず。
「じゃあ山戸、携帯貸して」
「ふざけるな」
 ええー……。やり方知らないんでしょこの子。なんでそんなこと言われなきゃいけないの?
「こんな簡単なこと、自分で出来る」
 そうですか。さっき橘先輩の様子でも見て勉強してたのか。とはいえ、急に強気にならなくてもいいのに。
「そうかい。じゃあお互いに赤外線で交換するでいいよな?」
 片方が送ったアドレスからメールに番号を記入して送りそこから登録する方法もあるが、説明するのがめんどくさそうなのでこっちの方法を提案した。
「何の問題もない」
「どっちから送信する?」
「――――?」
 いやいや。何で頭の上にクエスチョンマーク付けてるんですか。
「やっぱり赤外線のやり方知らないんだろ」
「ば、馬鹿にするな! お前から送るに決まっているだろ!」
「そーですか。じゃあ送るからちゃんと赤外線受信から受信するを選ぶんだぞー」
 時間がないからとりあえず要点だけ伝えてやり方を教えることにした。あまりこいつのプライドに刺激を与えないように伝えるのは難しいな。
 俺は山戸の携帯に向けて赤外線送信モードで待機。たしか十秒以内に受信されなかったら自動的に終了するのだが、果たして。
 十、
 九、
 八、
 七、
 六、
 五、
 四、
 三、
 送信しました。
 おお、少し時間が掛かったが送信することに成功。
「ちゃんと登録したか?」
「うるさい話しかけるな。今やってる」
 そーですか。さっきから「く、くそ、何なんだグループって」とか「メモリ番号?知らん」とか一々独り言を言うのは止めて。微笑ましいというか何というか。
「よし! 次は私が送る番だ!」
 何でそんなにテンションが高いのか。というか携帯にほとんど触っていない女子高生なんてこの世に存在するんだなーなんて思いながら俺は携帯を赤外線受信モードにする。
 ピタリと山戸の動きが止まった。微妙に困った顔をしている。今までのこいつの様子を観察してみても明らかに携帯は高校生になって初めて買って貰った系だ。仮にだ。自分の携帯番号を赤外線で送る時に聞かれる暗証番号を忘れたとかだったら俺は腹を抱えて転がり回るね。
「――たんまつあんしょうばんごう??」
 世にも恐ろしいことを呟いた。いや、今のは気のせいだ。風の音だ。雨の音でもいい。空から槍が降ってくる音でさえ俺は信じるね。……いやいや、現実逃避をしてても始まらない。
 俺が、勇気を振り絞って教えるしかない。
「山戸、あのな……初期設定だとゼロゼロゼロゼロだと思うんだが、変えたのか?」
「え? へ? あ、――って、変えたに決まってるだろ! そんな分かりやすい番号のまま使っているほど馬鹿じゃない!」
「そーかい。じゃあ俺は分からないからちゃんと思い出してくれよ」
「心配するな。思い出した」
 何で認めないんだろうね山戸は。そんなに俺に教えて貰うというのが嫌なのか。ちょっと傷つく。
 改めて山戸と赤外線通信を始める。今回は二秒ほどで終わった。
「送った――はずだぞ」
「……どうも」
 ふー、たかが赤外線通信をするだけでものすごく疲れた。とりあえずこいつのグループは大和でニックネームはメロメロハンターにしておいた。特に意味はない。
 まったく、朝からとんでもない事件に巻き込まれちまったな。いや、実は昨日からすでにおかしくなっていたのかもしれん。
 俺と山戸はそれからすぐ解散した。これからもっといろんなことに巻き込まれるんだろうなーと少し鬱になって廊下を歩いていると、携帯の着信音が鳴り響いた。橘先輩のメールだった。
 中身はシンプル。今日のお昼は学食のVIP席で待ち合わせしましょう、とだけ書かれていた。
 暫し逡巡。
「――えっ!?」






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