#2

 遅刻届は一旦職員室を経由し、そこでコンピューターに登録するシステムらしい。が、遅刻届をもって職員室に行くはずないだろ。ついさっき明日から気をつけるとか言ってたやつのセリフなのかどうかは気にするな。その場のテンションってやつだ。
 そんなわけでロッカー型の下駄箱に靴を入れようと昇降口へ。規則正しく生徒分の下駄箱が表裏合わせえて十二個並び、俺たちは一年C組みなので右から二番目にスペースが割り当てられている。そのポジションに見慣れない女子生徒が立っていた。見慣れないといってもまだ入学して二週間だし、同じクラスの女子じゃないからしょうがないが、綺麗な女の子だと思った。湾曲を描いている割と小さい顔の輪郭に、透明感のある白い肌。すっと通った鼻梁に、ぷっくらとしたピンクの唇、背中まである黒髪は優雅で美しい。そんな女の子の手には、なにやら白い手紙のようなものを持っており、そのまま縦に回したかと思うと何の躊躇いもなくビリビリと不協和音を奏でて破いた。
 ……ま、俺には関係ないんだけどさ。別に知り合いでもなんでもないから声をかけないでさっさと自分のロッカーに靴を入れ、上履きに履き替える。ちらりと横目で確認してみたら女の子もこちらを一瞥した。が、すぐに踵を返して行ってしまった。
 うーむ。変な女。つーか、あれってラブレターじゃないのか? 下駄箱に手紙といえば果たし状かラブレターの二択で間違いない。この二つに共通する内容と言えば待ち合わせをするということだろうから、そいつ待ちぼうけを食らわせることになるな。……ま、俺には関係ないけどね。とっとと教室に行くか。
 私立応明学園は一年が三階、三年が一階という構図になっている。一年坊が先輩の頭の上で授業を受けるという形になるが、わざわざ三階まで階段を上り下りするのは苦行以外の何物でもない。しかも学食のある場所は当然一階だから学年が上がるたびにいい席を確保できる仕組みになっている。これだから、これだから頭のいい学校は!
 そんな割とどうでもいいことを考えながら一年C組の教室のドアを開ける。ガラガラと音を立てて開けたからほぼ全員が俺のほうを向いた。俺は適当に笑顔を作る。完璧な愛想笑いだ。瞬間、全クラスメイトが、ひいた。
「はいはい、浅羽くん。朝から気持ち悪い笑顔を見せないの」
 担任の橘文子先生が呆れて言った。橘という苗字で分かる通り、あの橘先輩の母親だ。担当は現代文。自称二十八歳の超若作りでかなりの美貌の持ち主、そして母から子へ確実に遺伝されているであろう、どこかのファンクラブの情報で推測ナインティナインの推定Iカップ。健全な男子にとっては目の毒なことこの上ない、けしからんプロポーションです。
「俺のさわやか過ぎる笑顔が気持ち悪いってどういうことっすか?」
「自分の顔を見てからそういうこと言ってね。遅刻届は?」
「そういえば朝トイレに行ったら紙がなくて困ってたところ、なんだ俺の右手にいいものがあるじゃないかという事件が――」
「まあそれは大変だったわね。遅刻届は?」
「えー、ふきま」
「嘔かすわよ?」
「大変申し訳ありませんでしたここにあります」
 素直に謝って遅刻届を渡す。いやいや、マジで嘔かされるんですって。こんな美貌を持っているが護身術を嗜む程度とは思えないくらいの強さを誇り、噂では橘先生に痴漢をした男はすべからず病院で余生を過ごすことになるとさえ言われている。怖ろしや。
「ほら、さっさと自分の席に座りなさい」
 逃げるように自分の席へ向かう。ちなみに俺の席は窓際で、しかも俺の席の後ろにはジュンが、さらにジュンの隣がアケミなわけで、つまりは浅馬鹿トリオの独擅場だ。
「もうあのやり取りは恒例になってるよな」
「まだ四回目だっつーの」
「ま、とりあえず一時限目は明日のためにバリエーション考えとけ、な? 下ネタはきしょいぞ」
 アケミが割って入ってきた。
「うっせ、ちょっと成長期が遅れている変な子」
「へ、変な子とは何さっ!? 普通なんだよこれがっ!!」
 怒鳴り声を上げたからクラスメイト全員がアケミのほうを向いた。そして全員がアケミの体を確認し、首を横に振りながらため息。すげーな、まだ二週間しか経ってないのにクラスが一致団結した。
 誰がどう見ても遅いだろ、と。
「な、何だよ、お前ら。人を、見かけで判断したら末代まで祟るって、親に習わなかったのか?」
 どんな親だよ。あと、声震えているからな。
「はあ〜……こんなクラスでやっていけるのかしら……」
 美人教師の苦労は尽きない。



 時は廻って昼休み。いや廻ってはいないんだけどさ。この昼休みは戦場――つまり学食でいち早くいい席を確保するというじゃんけんで勝った組と、みんなの分のメニューを一人で全て取り揃えるというじゃんけんで負けた組に分かれて一斉に特攻をしかける時間だ。廊下は走らないという校則なんてくそくらえ、足払い横列妨害窓からの飛び降りなど何でもあり。とにかく食えればいいんだよ食えればの飢えた青年たちは今日を生き延びるために必死だ。
 で、俺はといえば一緒に熱く走っている。じゃんけんで負けたからなはっはっは。しかし俺が負けたときあいつらはものすごくがっかりな顔をしたな。ついでに今日はあんぱんかとか呟いたりしかもゴマがついてないやつと付け加えてたり。なめんなよお前ら、カレーパンでも買って驚かせてやる。でも一番人気はメロンクリーム入りメロンパン。誰も食べたことがないと噂されるトリプルAランクのレアアイテムらしい。そう言われると、なんだか一度は食べてみたい気もする。
 応明学園の食堂は特別棟を少し離れたところに設置されている。ちなみにいい席というのはテラス側の一帯、実は応明学園は少し標高が高いため海が見える。その海風を浴びてのランチタイムは全生徒が憧れるものだ。おそらくあいつらもテラス側の席を確保しているだろう。



 で、結局。
「あんぱん六個も買っちまったぜ」
 全てをやり遂げた笑顔で俺は戦利品を見せびらかす。きっとこいつらもこの喜びを分かち合えるに違いない。そう信じていたが、
「すまん……あの時オレが負けていれば……!」
「今頃幻と噂されるメロンクリーム入りメロンパン、略してメロメロを贅沢に頬張っているかもしれないのに……!」
 泣くなよお前ら。あんぱんをなめんなよ。いざというとき自分の顔を食べさせてくれるヒーローだっているんだからな。
 つーか、メロメロってかなり悪趣味なネーミングだな。
「よし、早速三人で分けよう。一人二個までだかんな」
「最悪……」
「午後の授業はふけるか……」
 おいお前ら。俺だって必死で頑張ったんだぞ。その明後日の方向を向きながら嫌なことを呟くのは止めて。
 ぱくっと一口あんぱんを頬張る。
 無駄にいい席を取ってくれたせいか、あんぱんはちょっとしょっぱかった。



 昼飯を食べたら俺は一人で特別棟の屋上へ向かった。あいつらは学校を抜けてコンビニで何か買ってくるらしい。俺の分は買ってくれないのは友情の証だ。
 わりと錆びている重いドアを開ける。この時駆け抜ける風が俺は気に入っている。清々しい青空、清々しい海風、清々しい俺。ごめん嘘。
 特別棟を選んだのは訳がある。特別棟の屋上の鍵が壊れていていつでも開けられるのもあるが、なんといっても本校側は不良の溜まり場だったりする。ヤンキー座りのお兄ちゃんたちをいっぱい見たら誰だって逃げ出すね。財布がいくらあっても足りないぜ。
 屋上に出て思いっきり伸びをした後、気づく。女子生徒だ。よくよく観察してみると、朝見た例のラブレターびりびり女だ。どうやら一人で昼飯を食べていたらしく、膝元に学食で買ったと思われる紙袋が置いてある。何買ったんだろ。いやどうでもいいか。俺は気づかないふりをして階段の屋根の部分に上る。ここがこの学園の一番高いところであり、一番のんびり出来るところだ。雲一つ無い青空の下での昼寝は最高だぜ。
 屋上のドアが開く音がした。こんなところに来る生徒が一杯いるとは考えられない。誰だ? 気になって少し様子を見る。
「――ああ、良かった。来てくれてたんだ」
 男の声。――何だ、こいつ。さっきのセリフと朝の出来事から想像すれば、例の手紙を書いたやつ、だろうか。
 ――なにやら面白いことになってきました。
 俺は二人に気づかれないように覗いてみた。
「えっとさ、その、話って言うのは、なんていうか…………ヤマトさん、僕と付き合ってください!!」
 おおっと、やはりそういう展開になったか! で、彼女の反応は……。
「…………」
 彼女は答えない。むしろうざそうだ。というか誰だお前、消えろオーラを発しているな。むしろここから飛び降りればオーラを……うん、すごい殺気だ。だが男はそのオーラをびくともしないで――いや、気づいてすらいないな。馬鹿だなーお前。手紙はゴミ箱に捨てられているというのに、読んでもらったと勘違いして舞いあがってるな。これは素晴らしく面白いことになりそうですよ奥さん。思わず身を乗り出して次の展開を待つ。しばらくして男は彼女に近づいた。瞬間、
 彼女は手に持っていた紙袋を男に投げつけた。
「捨ててこい」
 一言だ。その声はそんなに大きな音量ではなかったが、妙に通って聞こえた。何が起こったのか分からないのか、男は動けなくなった。
 そして止めの一言。
「二度とその面を見せるな」
 すっげーこえー!
 ようやく何を言われたのかが分かった男は律儀に紙袋を拾って速攻で逃げ出した。そのあまりにも情けない様子を見て笑いを堪えるのに必死になる。
 彼女はため息をついて歩き始めた。そして彼女がドアに手をかけた瞬間、何を思ったのか上を向いた。
「あ」
 目が合ってしまった。まずい。無駄だというのに隠れようとして手に力を入れた。
 手が滑った。
「え!?」
 そのまま俺はまっ逆さまに彼女のところへ落ちた。顔面に強烈な一撃。暗転する視界。床にぶつかる衝撃。かなりのダメージだ。体に力が入らない。しかも何だか甘い匂いがする。これは……メロンか? なんとか目を開けて現状を確認しようとしたら、
 まさかまさかの、彼女と口付けを交わしていた。顔全体が痛くてそんな状況になっていたのに気がつかなかった。
 俺は急いで顔を離した。幸いにも彼女はまだ気を失っていた。よし。まだノーカウントのはずだ。こんなときこそ三秒ルールが役に立つ。わけないだろ!
「う、ん……」
 何だこの妙に艶めかしい声は。思わず動けなくなって彼女を見下ろしてしまった。
 うっすらと彼女の目が開いていく。眉毛なげーなと無駄に見惚れている俺がいる。
 彼女の目が完全にあいた。どうするどうする。お互いに見詰め合っている場合か!
 謝ろう。そう判断した瞬間、彼女の目が獲物を仕留めるように鋭い目つきに変わった。
「――しねえぇっ!!」
 そのとき、応明学園始まって以来の断末魔が響き渡ったと言う。





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