#1

 けたたましく目覚まし時計が鳴り響いて文字通り飛び起きた。いつもならこんな大音量ではなく小鳥が囀るような清々しい音量なのだが、今日はなぜか最大ボリュームでセットされていた。
「ちっ、あいつか……」
 俺はすぐさま容疑者が浮かんだ。というか、あいつしか俺の目覚ましはいじらない。昨日の夜少しからかったからって、姑息な嫌がらせだよなまったく。いい加減に耳が聞こえなくなりそうになったので目覚まし時計に超高速でチョップをして粉砕。出来るか。ちょっと手の横が痛くなったが、止めることに成功。これがあいつと同じだったらなと無駄に思う。
 七時三十一分。さて、顔でも洗うか。
 二階の自室から一階へ向かう。台所からなんだかうまそうな匂いが漂ってきたが、先に顔を洗わないと怒るので一応挨拶だけにする。
「おはよー、ジュン」
「おう、ちゃっちゃと顔洗ってこい。すぐできっから」
 別に俺とジュンは一緒に住んでいるわけではない。俺が高校に進学出来ることを両親は感激すると、「安心して海外出張できる」とかなんとか言って俺を置き去りにしやがったのだ。強制的に一人暮らしという形になったが、俺の両親は微妙にお金持ちで仕送りには一応困らない。はず。それはともかく、元々ジュンとは近所で、しかもジュンの親は放任主義というか夜遅くに帰ってこようが泊まっていくことを伝えなくてもあまり心配はしないというか、ジュンに対してはあまり愛情はかけていないらしく、微妙らしい。まあ余計なお世話かも知れないけど、親としてそれはどうよと思うわけですよ。
 そういう訳でジュンは一通りのことは全て一人で出来る。料理の腕も素晴らしい。去年家庭科で女子に料理を教えてた光景もいつものこと。将来は料理人になろうかなあと冗談半分で夢を語っていたこともあったが、たぶん冗談じゃなく本気でなりたいんだろうと俺は思う。だけど料理ばかりに一生懸命になったせいか、勉強にはあまり時間を割けられなかったらしい。まああの事件以降、料理を一度妥協して受験勉強に本格的に力を入れたから、俺たちと一緒の高校に入学できたのはこれは素直に嬉しい。
 そして、俺の両親の海外への出張が重なり、ジュンは俺の家にほとんど住み込みの形で世話になっている。夜遅くまでにはジュンは家に帰ってしまうが、泊まりたければ泊まればいいと思う。でもジュンにも事情はあるだろうから俺は泊まるのかとジュンに訊ねたりはしないことに決めている。
 顔を洗い、タオルで拭いていると玄関から遠慮のない少女の声が聞こえた。これもいつものことだ。いつものことなのだが、俺にはどうしてもぶん殴らないといけない事情がある。俺はすぐさまそいつの元へ向かう。
「おいっす、スグル。今日のお目覚めはいかがですかー?」
 ニコニコとしてやったりな顔を、俺はその両頬を声に合わせて引っ張る。
「お、は、よ、う! ア、ケ、ミ、ちゃん! おかげでいい目覚めだったぞ!」
「ひ、ひたいひたいっ!!? ひたいっふっへんはろ!!」
 手を離して更にアケミに軽く拳骨を食らわせる。それだけでアケミの目には涙が溜まる。
「いってーなあもう……超美少女の顔に何てことすんだよ!」
 手を頬に当ててすりすりして抗議している自称超美少女を無視してリビングへ向かう。そろそろ朝食が運ばれてくるはずだ。
「あ、お前無視すんな! おい! ウルトラキュートな美少女の顔に手を付けやがって、お嫁にいけなくなったらどーするんだよ!!」
「安心しろ、きっといいやつが見つかるさ」
「そんなフォローしたら私が負けてるみたいじゃんか!!」
 お前は喋らなければもてると思うんだけどな。くりくりとした丸い目とか、小鼻で背が低くて童顔というか、さっき引っ張ったからちょっと赤くなっている頬とか、髪の毛をツインテールにして縛っている大きな緑のリボンとか、全然ない胸とか――うん要するに子供。
「――何さっきから黙って私を見てるんだ? 惚れたか?」
「安心しろ、きっといいやつが見つかるさ!」
 俺は爽やかに親指を立てて言ってやった。
「死ねっ!!」
「――――っ!?」
 アケミは俺の急所にめがけて足を蹴り上げた。俺はそれをほぼ無防備にくらい、その激痛に思わず蹲る。まずい、このままでは死ぬ。くそ、こいつ卑怯だよな、男の急所に蹴りを入れるって。子供が作れなくなったらどうするんだよ!
「……さっきから騒がしいと思ったらこれだ」
 台所のほうからジュンが覗いていた。
「おい大丈夫かスグル?」
「ボク、もう子供産めないかもしれない……」
「だめだこりゃ」
 呆れて両肩をすくめるジュン。
「ふん、そっちが悪いんだからね」
「だからっていきなり金的はやめとけ。使えなくなったら困んだろ?」
「べ、別に私は困らないよ」
「いやオレが困る」
「何でジュンが困るんだよっ!!」
 ジュンの迷言に思わず突っ込みを入れる俺。ジュンは何というか、たまに変なことを言う。この発言の意味を考えるのは怖いからしない。したくもない。
 そんないつも通り賑やかな浅羽家の朝の出来事。まあしかし、ジュンは俺んちに来るのはいいとして、何でアケミが朝っぱらから、しかも朝飯を食うために俺んちに上がってくるのは謎だ。自分んちで食えよと思うのだが、でも賑やかになるので俺は特に忠告はしてない。
 俺、ジュン、アケミはリビングの所定の位置に座り、ジュンの作った朝食を囲む。今日のメニューはご飯と味噌汁と厚焼き玉子、アジの開きにおしんこ。うむ、実に和食って感じだ。
「さて、食べるとするか」
「おー!」
「頂きますっと」
 それぞれ思い思いに朝食に手を付ける。BGM代わりになっているテレビからはいつも通り日本の各地で起こったニュースを適当に読み上げられている。この手のニュースというものは、プロデューサーが選んで報道しているため各テレビ局でそれぞれ色がある。ゆえに、なんだか最近こんなニュースばっか現象が現れる。
 というのが俺の持論。確かに事実を伝えているのだろうが、テロップとか入れてある映像を完全に信じるのもどうかと思う。政治家の汚職事件とか多数の報道記者が取材しているニュースなら、いろんな局をみてその差を探してみるのも面白いと思うぞ。どの発言を強調してるのかとか。
「おいスグル、人参残してんぞ」
 味噌汁の汁だけ飲み干して人参だけが残っているお椀を指してアケミは言った。
「うっせーな、朝っぱらから人参なんて食えるかよ!」
「何逆ギレしてんのこいつ?」
「いいから好き嫌いしないでさっさと食べろ」
「そーだそーだ。私を見習えこのお子ちゃま!」
 子供にお子ちゃまと言われるのは最高にむかつくな。
「お前だって魚食べてねーだろ」
「わ、私だって食べようとしてるよ! 食べようとしてるけど……やつが邪魔をするんだ!」
 やつ、というのは小骨のことだ。アケミは子供の頃喉に骨が刺さったことがあるらしく、それが今でもトラウマらしい。
「そりゃ体を守る部分だからな。一筋縄じゃ食べさせてもらえないさ。俺も同じで人参には外敵から守るため苦み成分があってだな……」
「分かってると思うけど、お前ら残したら怒るぞ」
 すいませんでした。ジュンを怒らせるとものすごく怖いから俺は意を決して人参を口に放り込む。
 こ、これは……まじまずい!
「よし! スグル取引だ! 私の魚をやるからその玉子を寄こせ!」
「殴るぞ?」
 ごんっ。あ、手が勝手に。
「いた!? 言う前に殴るな!」
「すまん、そこにスライムがいたんだ」
「いるわけねぇだろこのスカタン!!」
「ちなみに今ので経験値1獲得した」
「倒されてんのかよ!? もう少し頑張れよ!! ……って違う!」
「おーい、いい加減食べねえと遅刻すんぞ」
 呆れてジュンがこの場を納めて朝食タイムは終わる。これもいつものこと。俺たちにとってこれが毎日の始まりで、いつまでもずっと続くものだと思っていた。



 で、結局。
「ちくしょう、遅刻ぎりぎりじゃないか!」
「スグルが呑気にトイレなんか入ってるからだろっ! 男なら我慢しろ!」
「おいやべえぞ、門が閉まりそうだ」
 全速力で校門まで走る俺たち。それを無情にも生徒を弾き返すベルリンの壁(移動式)が動き出した。まあただの校門だが、これが閉まると通行証もとい遅刻届を貰わないと入れないわけで。よし、こうなったら最終奥義を使うしかねえ!
「神よ……我に力を!!」
 俺は両手をバンザイさせてその手先に神経を集中させた。
「こんな馬鹿は放っておいて、私たちだけ生き延びようぜ!」
 馬鹿とは何だ馬鹿とは! これだから素人は困る。これをやると本当に神の力が――。
「ほい、お先!」
「よっと、ぎりぎりセーフ――」
 ガチャン。
「うわああああああああああああああああ!?」
 俺だけベルリンの西側に取り残された!?
「すまん、スグル……お前の足の遅さを考慮するの忘れてた」
「やーい、ノロマノロマ!」
 畜生! こいつだけは後で泣かす!
「はいはい、仲間割れはいいから、クラス名前出席番号、生年月日、ついでに携帯の番号教えて」
 俺が門の外でアケミを泣かせるプランを立てていると、この学園の生徒会長プラス風紀委員長で門番をしている三年の橘香織先輩が声をかけてきた。その様子をみると「じゃ」と言って校舎に入っていく二人。おいおい、友情という言葉を知ってるのかてめーら。泣くぞ。
「……前半は教えてもいいけど後半はプライバシーの関係で教えないから」
「つれないなー浅羽君。遅刻届け二枚にするよ?」
 笑顔で言う橘先輩。その笑顔は可愛いというよりも女神のように美しいといわれている。完璧な笑顔というやつだ。整った顔立ちで白い肌、セーラーの制服越しでも分かるその存在感はアルプス山脈のごとく、短かめに調節されたスカートから伸びる身長の半分以上はありそうな二つの脚。どれもこれも男を魅了するには十分な攻撃力を持っている。
 が、
「そんな脅しは効かないから、遅刻届をくれ」
 俺は別に好きでもなんでもない。というか、あからさまに狙っているから逆にどんなことになるか不安でしょうがない。
「……つまんないなー」
 本当につまらなそうに遅刻届の紙を俺に渡す橘先輩。ちなみにこれで通算四枚目。十枚貰うともれなく夏休みがなくなるすごい紙だ。
 ……まだ四月の段階でそれを四つも貰ってる俺ってどうよ。
 とにかく、明日からは気をつけることにしよう。
 ベルリンの壁の脇から敷地内に入り、俺はそう誓った。



「……んー、やっぱり浅羽君、あたしのことなんとも思っていないのか……それはショックだな」
 春風になびく艶やかな黒髪を手で押さえながら、橘香織は一人ごちた。






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