第七話

 異性の、同じクラスメイトが下着を選んでいる場面に遭遇する。
 しかも、片思いをしている相手だ。
 気まずいどころでない。
 完全に終わってしまった、という感覚だ。
 僕は彼女に変態というレッテルを貼られ、近寄れば避けられ話しかけても無視され女友達に悪口を言いふらすだろう。やがて悪評が一人歩きし女子全員に噂が行き届いて白い目で見られるようになる。
 邪推が止まらない。全てがこうなってしまったのはサキを拾ってしまったからだと責任転嫁したくもなる。ただ当の本人はと言えば何が起きているのか分からない様子で頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。邪推は、しょせん邪推だ。勝手に想像して勝手に怒りを向けるなんて馬鹿馬鹿しい。
 近藤さんは顔を赤めて目線が泳いでいる。このまま見なかったことにすることも出来まい。
「え、えっと、妹に服を選んで欲しいってせがまれまして」
「あ、そうなんだ。妹がいたんですね」
 なんだか変な会話になっているが、それよりもサキと同じ声が返ってきて僕は冷や汗をかいた。この流れ、必然的にサキも自己紹介をするためにしゃべらなければならない。名前と声が同じ人と出会って偶然ですねと済ませられるだろうか。
 サキが一歩前に出る。
「初めまして、妹のサキです」
 同じ声。どうやら空気を読む力はあまり無いらしい。ちょっと気を利かせて作り声で言って欲しかった。
「あ、私と同じ名前なんですね。初めまして、近藤沙希と言います」
 ……あれ。
「わっ、すごい偶然ですね」
 偶然で済まされました。
 ではなくて、一体何故だろうか。一刻も早くこの場から立ち去りたいから細かい疑問は流しているのかも知れない。
「……お兄ちゃんとはどんな関係?」
 こらこらこら!? 何を踏み込んだことを質問してるんですか。
「ただのクラスメイト、ですけど――」
 まあそうだよね、ただのクラスメイトって答えるしかないよね……。
「サキちゃんも、わざわざここでお買い物?」
 事情を知っている人が考えればおかしいと感じるのも無理はない。安売りのチェーン店なんぞ、実家の近くにもあったし、わざわざここで買う必要もない。
「――私の誕生日だから何でも買ってあげるってお兄ちゃんは言ったんですけど、予算が無いからって……」
 素直に納得してしまった。平日に一人暮らしで離れている兄と一緒に服を買う、そんな特殊な状況はこれ以外にあるというのだろうか。
「そうなんだ、でもここって意外と可愛い服もあったりして結構侮れませんよ」
「へえー、どこどこ?」
「確かあっちに……」
 と言って彼女たちはカジュアル服売り場の方へ向かっていった。
 ……えーっと。
 大丈夫、なのか?
 そういえば自分の声って他の人が聞いている声と全然違うって聞いたことがあったような。
 だからだろうか。
 どうやらあの様子ならよっぽどのことがない限りボロは出そうにないから、このまま二人で買い物させても大丈夫だろう。
 情けないことに片思いの女の子と一緒に買い物が出来る喜びよりも、女性服売り場に男一人という状況はものすごく恥ずかしくて居たたまれない。
 僕は端っこにあるメンズファッションコーナーから二人を覗きながら買い物が終わるのを待つことにした。


 * * *


 そして一時間が経過した。
「す、すみません……つい夢中に」
「いや、気にしてませんよ。むしろいいものを選んでくれて良かったと思います」
 近藤さんと店前で別れ、日が沈む前にサキと二人で帰路につく。近藤さんは他にも用事があると言っていたけど、もしかしたら気をつかわせてしまったかも知れない。わざわざ妹が来るわけだから、そういう風に思われても仕方がない。あわよくばもっとお話が出来たと思うけれど、強引に誘う理由もない。と言うか、全然話していないじゃん、僕。近藤さんと友達になれる日は来るのだろうか。
 僕の隣にいるサキは早速買ったばかりの服を着ている。白のブラウスにシースルーのハーフジャケット、ピンクのロングフレアスカートと清楚感溢れる仕上がりに。この歳の女の子にしては大人しすぎる気もしないでもないが、素直に似合ってるので気にしない。
「……この服、似合ってますか?」
「何回その質問するつもりですか。似合ってるので安心して下さい」
「だ、だってぇ……」
 何か言いたげな表情を浮かべるサキ。僕の素っ気ない返答が不安にさせているのだろうか。でもこの質問五回目だしなあ。何かインパクトのある気の利いたセリフはないだろうか。
「…………その服が一番可愛いと思います」
「――っ」
 と言っても、裸とか上着だけとか男の服とかろくな物ではなかったけれど。やはり女性ってイメージが付く物は可愛く見える。
 ……時間が経つにつれ、恥ずかしさがこみ上げてきた。
 サキさん、ちょっと何か話しかけて下さい。無言は結構やばいです。
 足音が二人分だけの時間が過ぎていく。まるで僕達二人だけ世界に取り残されたみたいに不気味だ。家の前を通る度に吠える犬がいるはずなのに、今は散歩に出かけているのか静かである。角を曲がり、アパートへ続く坂道へ差し掛かったその瞬間、
「――、危ないっ!!」
 サキの叫び声と同時に僕は身体を引っ張られた。瞬きをした一瞬、僕の顔を風が通った。コンクリートブロックの壁に金属がぶつかる音がした。サキが僕の前に出て身体を張り、辺りを見渡す。日は完全に沈み、街路灯がチカチカともうすぐ切れかかっている様子を表している。周りに人影はなく、遠くで犬が吠えている。僕はようやく顔を横切った物体の正体を確認した。
 ナイフだ。
 刃渡り十p程度の小さいナイフである。これで仮に殺そうとするなら、急所に刺すか何カ所も刺さないとならない。
 傷だらけのサキを思い出す。
 胸元に突き刺さったナイフを思い出す。
 同じだ。
 柳田先輩の言葉が頭をよぎる。
『兵器実験』
 ふざけるなよ。こんな場所でおっぱじめるのか。遊びでは済まされないぞこんなの。
 狙われているのはサキである。それなのに、逆に僕がサキに守られている現状。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
 僕を心配するかけ声はするものの、身体は外を警戒している。またいつナイフが飛んできてもおかしくない。
 ……悔しいじゃないか。
 確かにサキは機械で出来ているアンドロイドである。頭さえ壊されなければ大抵の傷は回復できる。それに対して僕は生身の人間だ。切り傷でも完治するのに一週間はかかるだろう。彼女に守られるのは理にかなっている。むしろ守ることを前提に行動しているようにも見える。
 僕は彼女を助けたいと思っていたのに。
 僕は彼女に対して何が出来るのだろう。
 思考を停止している場合ではない。
 まずは安全に逃げることを考えろ。
 敵がどこにいるか分からない。しかし次の攻撃がくる様子もない。閑静な住宅街とはいえ、通行人は見当たらないのに。不意打ちが失敗して僕たちが警戒しているからだろうか。攻撃方向から場所を割り出すことも可能と言えば可能だろう。十分に考えられる。
 ならばしばらく攻撃してこない。
 人通りの多いところへ行けば一先ず安心できるはず。そう考えサキの手を取る。
「走ろう!」
 勿論僕が先行して走るつもりだった。しかし頭では走ろうと思っても足が接着剤を踏んでしまったかのようにまるで動かない。
 結局サキが先に動いた。僕はそれに引っ張られるようにようやく走り出した。
 行く当てなんてありゃしない。
 とりあえず落ち着ける場所が良い。さらに人もある程度いて話し声が気にならない所がいい。
 そんなのファミレスの端っこぐらいしか思いつかない。
 だが他にぱっと思いつく場所はない。僕は一番近いファミレスがある場所を思い出そうとした。
 ふと。
 前方、こちらに手を振っている女の子が二人いた。
「おーい慶太、二人でランニングデートでもしてるのかね?」
「不思議な人たちでございますね」
 柳田先輩とサクラさんだった。


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