第四話

 私立霞ヶ原学園の裏門付近は特別教室棟が建っている。
 三階建ての普通のコンクリート製で築十年ほど。まだ中は新しく見えるが外壁は風雨にさらされて所々ひび割れやら黒ずみも見られる。どこかのクラスで音楽の授業でもやっているのかピアノの旋律と共に合唱が聞こえてきた。
 裏門は鉄製の両開きタイプで南京錠で完全防御。学園の敷地は侵入者防止用に高さ約三メートルほどのフェンスで囲われているし、てっぺん部分は外側へ反り返っているタイプなのでそこからの侵入はかなり難しい。
 裏門付近で僕を待っている彼女。一体どこから侵入しようと言うのか。
「お。ようやく来たね。私を無視して正門の方から行ってしまったかと思ってたよ」
 にこっと彼女は笑みを浮かべて言う。
「……裏道というのがどんなものか、気になりますからね」
「そうだろう、そうだろう、気になるだろう。よし、じゃあ教えてあげよう」
 彼女は格子の一つに手を掛けると、それをくるくると回し始めた。
 ……まさか。
 案の定、外れた。格子の上を突き破るような感じで持ち上げると、人一人ようやく通れるぐらいのスペースが生まれた。そこに彼女は慣れた感じで通り抜ける。
 一体誰が、何のためにこんなギミックを……。
「さあ、次は君の番だ」
 ――今考えても答えが出るわけがない。
 僕は彼女に促されるままそこを通り抜ける。格子を元に戻しながら彼女に聞いてみる。
「こんな仕掛け、誰が作ったんですかね?」
「私」
 決まってるじゃないか、と言う顔で彼女は答えた。
「……え?」
「何だその顔。言っておくが、私が夜な夜な人目を盗んで小細工してきた集大成的な物ではないからな。私の叔父がこの学園を作るときに子供心で言ってみたら本当に作ってしまったというわけだ」
 左様ですか。
 と言うことは、彼女はこの学園の創設者の親戚となるのか。たしか理事長も創設者だったはずだから、学園側は彼女に対して緩いのかもしれない。
「ちなみに誰にも言うなよ。言ったら玉を握りつぶすからな」
「ひっ」
「冗談だ」
 冗談には聞こえなかった。
「ところで、君はこの後どこへ行くつもりだったのかな?」
「……授業中の教室にのこのこと入るのは面倒なので、休み時間まで時間をつぶしてようかと」
「そうか。私もそのプランだ。もし良かったらまだ付き合ってもらえるかい?」
 やはり僕の予想通りだ。このまま理事長室へ連れて行かれて今朝のことを説明されて停学処分を受けて僕はもう終わりだ。
「……いいですよ」
 死刑執行された気分で僕は答えた。
「そうか。よかった。そういえばまだ名乗ってなかったな。私は柳田かすみ、呼び捨てで構わないよ」
「……紫藤慶太です。僕より先輩なので呼び捨ては出来ないですよ」
「ふむ。まあ呼び捨てで呼びたくなったらいつでもオッケーだからな。因みに私は君のことを慶太と呼び捨てでガンガン呼ぶから覚悟しておけ」
「それはちょっとご遠慮願いたいです」
「何を遠慮することがある慶太。私と慶太の仲ではないか。では行くぞ慶太」
 ああ、なんか、すごく、うざい。
 何も言う気になれず、僕は慶太慶太と一々連呼する柳田先輩の後に付いていった。


 * * *


 特別教室棟の二階、最東端には写真部が使っている普段使われていない教室がある。
 そもそも写真部自体存在しているのかが怪しい。入学して一週間ぐらい部活勧誘期間があったが写真部なんて見たことがない。少なくても私立霞ヶ原学園は進学校でもあるため、休みの日にどこか遠くへ行くより自宅で勉強するほうがいいと言う生徒が大勢なのだろう。
 僕はその教室の前まで連れてこられた。理事長室ではなかったのに少しだけ安堵感を覚えた。
「今開けてやるからちょっと待ってろ慶太」
 ごそごそとスカートのポケットから鍵を取り出す柳田先輩。
 さて、これはもしかして。実は彼女は写真部の部長ないし部員で、廃部寸前の写真部に入ってくれと脅してくるパターンだろうか。
 それだったら別にいいかな。というか、退学にならないなら何でもいい。レンズ磨きでもパシリでも何でもしてやるさ。
 ドアが開いた。
 中から一筋の閃光が見えた。光は僕の喉元で止まり、光の正体がナイフであることにようやく気づいた。ナイフを持っているのは、また見知らぬ女の子。制服を着ているからこの学園の生徒なのだろうが、髪の色が桜色。そんな生徒は見たことない。あまりにも現実から離れすぎていて考えが纏まらない。
 なんなんだこれは。
 一瞬で女の子が、僕の目の前に現れて、殺そうとしている?
 遅れてようやく恐怖が湧いてきた。
 ナイフを喉元から離さずに、殺意のこもった目付きで女の子は言う。
「カスミ様。誰で御座いますかこの見るからにヘタレ男は」
「大丈夫だサクラ。見た目通りのヘタレだから何もしないさ」
「ああ、そうですね」
 喉元に突きつけられていたナイフが下ろされる。その瞬間に体中の力が抜けてゆっくりと廊下に尻餅をついた。
「驚かせて済まなかったね。紹介しておこう」
 柳田先輩は女の子の方に腕を回し、笑顔で言った。
「この子はサクラ。――私の理想彼女だ」


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