第二話

 一体何が起きたのか僕は理解出来ないでただ黙って彼女に抱かれたまま固まっていた。
 やっとの事で僕はすごい状況になっていることに気づき、
「ちょ、ちょっと、離れてくださいっ」
 必死になって身体を離そうとするが彼女の反応は無くただうな垂れた。
 もう一度、
「離れてくれま……せん?」
 やはり反応しない。僕はだんだん怖くなってきた。このままずっと離れてくれなかったらどうしよう。全裸の女の子に抱きつかれて喜んでいる余裕がまるでない。
 いや、そもそも、体温の温もりを感じないことが、柔らかい無機物に体を抱かれているみたいな感触が、より僕を不気味がらさせているのかもしれない。彼女は確かに人間の女の子の姿形をしているけれど、心臓の鼓動も、更には呼吸すらしていない。
 死んだのかもしれないと僕は思った。
 血の気が引いたそのとき、小さく聞こえた。
「電気を……下さい……」
 電気。
 人間が欲しがるわけがない。やはり彼女は理想彼女なのだと理解した。
 そうなのだ。彼女が人間のはずがないのだ。ナイフを心臓に突き刺しても死なないし、お腹が減ったら電気を欲しがるのだ。そうなのだ。きっとそうなのだ。
 だから僕は、彼女に尋ねた。
「電気……て?」
 彼女は答えてくれなかった。
 とにかく、なんとかして腕をほどかなければと思う。しかし、死後硬直でも起こしてるみたいに脇の下から僕を抱いているその細い両腕はびくともしない。もっと他にないのだろうか。何かあるはずだ。何かが。
 ふと、彼女の首元からプラグが出ているのが見えた。
 何だ。難しいことではないのだ。そのプラグをコンセントに入れれば、彼女は元気になって簡単に離れてくれる。そうと決まれば、
 どこにコンセントがある?
 僕の部屋?
 彼女を連れて行く?
 それしかないのか?
 それしかなかった。
 簡単な事だ。このまま背負って自分の部屋まで誰にも見つからずに行けばいいだけの話なのだ。たったそれだけだ。分かったか。
 立ち上がって彼女を背負う。
 そして何も考えずに僕はアパートへ向かって走った。なるべく人目を避けるため、裏の林を突っ切る。誰かに見つかったら終わりだ。
 しかしすぐに彼女を助けようという意志は吹き飛んだ。
 甘かった。
 ヒーローのように格好良くヒロインを助けると言うことがどれほど夢物語だということを思い知った。他人が僕のことをどう見ているのかと想像するのがとてつもなく恐ろしい。考えなければいいはずなのに、僕はどうしても考えてしまう。全裸の女の子を背負っている姿を目撃されたらどう言えばいいのか。警察に通報されるかも知れない。学校で補導され、学校中で噂にされ、親にまで変な目で見られるかも知れない。僕は絶対に耐えきれない。
 自棄になってきた。
 とにかく全速で終わらせなくてはならない。
 アパートの手前にあるフェンスは古く、子供二人ほど通れる穴があり誰でも自由に通り抜けることが出来る。僕はそこを通ってアパートのエントランスホールの手前まで一気に走る。
 誰かいないかあたりを見渡す。
 誰もいない。
 呼吸を整える間もなく自分の部屋の前まで走る。
 ポケットに入れていたはずの鍵を取り出そうとして鍵を落とした。
 金属音が周囲に響く。
 時間が止まったように僕の身体の動きが止まった。
 やってしまった。
 心拍の激しさは走った物より遙に激しくなる。汗が噴き出る。視界が歪む。呼吸が出来ない。
 遠くからよく通る声が聞こえた。
 反射的に後ろを向いた。
「それでさ、昨日のドラマ見た? そう、それ。面白かったよねー。特に――」
 近藤沙希。
 僕の片思いの人であり、全裸の彼女と同じ声をした少女。ここから隣にいる友達と談笑しているみたいで、僕のことは気づいていない。
 何をしているんだろう、僕は。
 どうして全裸の女の子を背負っているんだろう。
 本当は彼女の隣で一緒に登校したいのに。
 彼女の隣で一緒に会話をして、お昼ご飯を一緒に食べて、一緒に下校して、明日もその繰り返しで。
 もう、無理なのかも知れない。
 彼女達がビルの角で見えなくなるまで見てしまった。
 僕は半ばやけくそに鍵を拾い鍵穴にねじ込むと勢いよくドアを開けて中に飛び込んだ。
 ドアが閉まるのと、足がもつれて転んだのは同時。今頃思うが、彼女はかなり軽い。パニック状態になって火事場の馬鹿力でも発揮したのだろうが、それでも軽いことは確かだ。
 そんなことより、後はあのプラグをコンセントに入れるだけだ。
 玄関から入ってすぐ、左の壁の十メートル程度の所にコンセントがある。僕は立ち上がり、靴を脱ぎ捨ててそこまで行って腰を落とした。
 彼女の首から出ているプラグを引き延ばして、差し込む。
「ふにゃあんっ」
 そんな声と共に彼女は手を離した。びっくりして後ろを振り向くと、彼女はそのまま倒れ込んだ。
 ぴくっ、ぴくっと身体が動いている。大丈夫なのかとかなり不安になってきた。
 とりあえず。
「――服を探そう」
 余っているYシャツとズボンを探しに僕は立ち上がった。
 

 * * *


 まあ、しかし。
 女性にYシャツやズボンは全然いいとしよう。
 問題は下着をどうするか。
 流石にトランクスを履かせるというのも、しかも僕の使用済みときたものだ。ブラジャーだって勿論持ってない。
 と言うわけで、彼女には悪いけれどしばらくノーブラノーパンで我慢して貰おう。
 とりあえず痙攣は治まったようなのでそのまま上からYシャツを着せる。前からは勇気がないから背中から袖を通させる。暴れたりはしなかったので楽に着せたが、ちょっとボタンにまでは手が行かない。先にズボンを履かせる。
 ようやく、一安心出来た。
 で。
 これからどうしよう、そんな思いが初めて湧いてきた。
 充電ってどのくらい掛かるのだろうか。
 普通の家電装置なら充電中であるというのが分かりやすく表示されている物だが、一見それがない。さっきより肌の血色が良くなってるなあとか、そんな印象はあるがそれ以上は分からなかった。
 その時、彼女の指先がぴくっと動いた。
 そして勢いよく起き上がり、
「ぷにゃああ!」
「うわっ!?」
 ちょっとびっくりした。コンセントに差し込んでからまだ数分しかたっていないから油断していたのもある。しかし叫び声と共に起き上がるのは誰でもびっくりすると思う。
 彼女は女の子座りをしながらゆっくりと辺りを見渡し始めた。
 やがて、その大きな瞳は僕を捉える。
「……あなたが、私を助けてくれたの?」
 どきりとする。好きな女の子の声でそう言われたら舞い上がりたい気分にもなる。
「う、うん……」
「服、あなたの?」
 言ってボタンが全然止めていないことに気づいたらしい。ボタンを下から止め始める。
「う、うん。ごめん、下着とか持ってないから、ちょっと我慢して」
「一人暮らし?」
「うん、そう」
「私はあなたの彼女?」
 うんと言いかけた。危なかった。何という誘導尋問だろうと思った。次の言葉が出てこない。
「え、えー、と。そ、そう言えば、君の名前は?」
「サキ」
 その名前は。
「と言っても。前の人が付けた名前だけど」
 何か続けていたが僕の耳には入ってこない。
 ――いや、ただの偶然だ。
 そうだ。声質も、名前もそっくりなだけだ。たまたま同じに思えるだけ。
 たったそれだけだ。顔つきや体つきだってそっくりではない。
 ……本人の裸を見たわけではないけれども。
「――あなたは?」
「――僕は、紫藤慶太」
「ケイタ。私はケイタの彼女」
「ちょっと待って下さい」
 何故か納得しているサキ。彼女は一体何を言い出し始めるのか。
「はい、待ちます」
「えー、と。何でいきなり彼女?」
「え? だって、もうエッチしたんでしょ?」
「し、してませんよ!」
 がーん、という効果音が聞こえるぐらいに、サキはショックを受けた顔をした。
「そ、そんな……やはり、私は、そこまで魅力的ではないのですね……」
 涙目で言うサキ。
「い、いや、十分、と言いますか、滅茶苦茶綺麗と言いますか……」
 すごく、滅茶苦茶恥ずかしかった。女の子に綺麗ということが想像以上に恥ずかしい。
「――あ! なるほど」
 何か納得したみたいだ。というか、さっきのは演技だったのか。
 いや、そうだよな。彼女は人間ではないのだから。想像以上に人間っぽい感じがして、すっかり忘れてしまう。
「すいません、早合点してしまって。ケイタさんはこういうのが好みなんですね」
「こ、こういうのって……?」
「裸Yシャツ、いいですよね。短パンなら言うこと無し! だったんですが」
 言われてサキの姿を見る。
 若干大きめなYシャツで、ボタンは胸元より下だけ止めている。そのおかげで胸の谷間がよく見える。
 これで短パンとか、短いものを履かせていたら……。
 いけない想像をしそうになるのをなんとか堪える。
「これからしようと思ってたんですよね?」
「思ってませんよ!」
 がーん。
「そ、そんな……」
 何だか同じ事を繰り返しそうなので話題を離れよう。
「そ、そういえば、身体は大丈夫ですか? 傷とか、結構深そうでしたが……?」
 僕が最初に見たのは暗かったからあんまり覚えていないが、それでも心臓があるところにナイフが刺さっていたのは間違いない。でも意外とピンピンしているような。
 サキはあー、と前置きをして、
「傷は大丈夫です。頭さえ壊されなければ大体は治ります」
「そうですか」
「そういうプレイでも耐えられるように出来てますので」
 そういう……プレイ?
「まあ……それを良いことに暴力を振るわれて……耐えられなくなって逃げ出しちゃったんです……」
 てへ、とサキは悲しく笑顔を見せる。
 ふざけた野郎だと思った。
 怒りは覚えたが、だからといって僕がサキに何が出来る。犯人を捜して説教でも垂れるのか。
 そんなことは漫画やアニメのヒーローがやってくれ。
「こうして充電しなければ、私は完全にジャンク品になってただろうと思います」
 それはつまり、人間で言うところの「死」と言うことだろうか。
「充電ってどのぐらい必要なんですか?」
 サキはんーと考える。
「今の状態からだと……十八時間ぐらいかな?」
「十八時間……!?」
 言われて時計を見る。
 その時間は一時限目の開始時間をとっくに過ぎていた。
「今はコンセントからの電気で起動してますが、フル充電をすればその後は生体電池で、」
「ご、ごめん、僕もう学校に行かなきゃ!」
「へ?」
 サキには悪いけど僕は学校に行かなければならない。
 一時限目はまだいいが、二時限目は出ないとやばい。
「家にあるのは適当に使って良いですから」
「え、ちょっと、」
 まず最初に鞄の回収をしてこないといけないから少し時間が掛かりそうだ。
 何か言いたげなサキに向かって、
「い、行く当てが無かったら、うちにしばらく居ていいですから」
 僕の、精一杯の彼女へしてやれることを言ってみた。
「――あ」
 それ以上はサキの顔を見られなかった。
 玄関まで一目散に行き、靴を履き玄関のドアを開けた。
「――いってきます」
「――いってらっしゃい」
 なんだか新婚生活をしているみたいで恥ずかしかった。
 僕は学校へ向かって走り出した。


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