#4

 春真っ盛りの昼空。太陽の光がぽかぽかして気持ちいい。こんな日は布団でも干したくなる、そんな天気の下。
「はい、あーん」
 橘先輩特製の厚焼き卵が箸に挟まれ、俺の目の前に浮いている。つまんでいる人はもちろん本人様です。
「えっと、あの、橘先輩?」
「なーに?」
「すっごい恥ずかしいんですけど……」
 俺たちは今、海がよく見える絶景ポイントかつデートスポットとしても人気のあるちょっとした高台にきている。元々は公園だったのだが、立地の悪さやら潮風で風化しやすいのもあってか遊具はすべて錆やら塗装の剥げが激しい。なのでそれらには近寄らない方が無難。無事にあるのは木製のベンチと柵だけで今ではすっかり寂れている。それがカップルにとって好都合のようで、今でも男女のペアが何組かここでいちゃついている。
 はずなんですけど。
 どういう訳かその男たちは若干チラ見している。その視線には妙に攻撃力がある。ハイエナに餌を奪われたライオンみたいな。激しい嫉妬のような。
 橘先輩は意地悪く笑う。
「大丈夫よ、気にする必要はないわ」
 気にしなくなったらバカップル誕生ですね、分かります。
「いや、自分で食べれるから……」
「あら、もうお腹一杯なのね。もったいないけど、食べてくれないんじゃしょうがないか……」
「え!? いや、まだ一口も――」
「はい、あーん」
 リピート推奨ですかそうですか。ここは素直に食べるべきなのか断固として自分で食べるべきなのか。とか悩んでいると、
「――それとも、浅羽君は口移しで食べたいのかしら?」
 とんでもないことを言われたので思わず大声で叫んだ。
「え!? ちょ、待てっ!!」
「ん?」
「な、ななななななんで、そうなるんだよ!」
 にこっと橘先輩は笑う。
「そのほうがいいのかなって」
 その思考回路、ある意味あいつより理解しがたい。ものすごくからかわれまくりだ。
「で、どっちがいいの?」
「……じぶ」
「どっち?」
 この強引さ。やはり親子。とても敵いそうもない。
「………………………………箸で」
 かなり逡巡して、俺はそう答えた。嫌ですね、別に変なことは考えていませんよ? しかし、橘先輩は待ってましたと言わんばかりに、
「分かったわ、口ね」
「ちっがあああう!!」
「どうしたの、大声出して」
「だから、その、あれだ。ファーストキスの味が玉子だなんて嫌だ」
 言って自分の台詞に悪寒。うわあ、何言ってんだろう俺。キモい、俺キモすぎ!! このまま崖から飛び降りて死にたい。空から槍が降ってきて死にたい。練炭っていくらで買えるかなあ?
「意外だわ。浅羽君の口からそんな台詞が出るなんて……」
 俺もびっくりです。吐き気を催しました。
「じゃあどんな味がいいのかしら? 興味あるわ」
「――甘酸っぱいのがいいんじゃね?」
 橘先輩は失笑した。
「じゃあ今度から苺を持ってくるわね」
「冗談だから」
「分かってるわ」
 とか言って、今度本当に苺がデザートにあったらどうしよう。逃げるしかないな。
「はい、あーん」
 再び厚焼き玉子が俺の口の前に運ばれる。俺は覚悟を決めて口を開けた。
 厚焼き玉子が口に放り込まれた。極度の緊張と戦慄のおかげで味がよく分からない。必死になって咀嚼し、飲み干したその瞬間、心臓を射貫かれたような殺気を感じて俺は思わずむせた。
「ゲホッ、ゴホッ」
「だ、大丈夫? 浅羽君? も、もしかして、口に合わなかった?」
「い、いや、うまかったぞ」
 必死に笑顔でそう答えたが、どうやら橘先輩には無理に嘘をついているように見えたらしい。まあそれはあながち違わないか。
「いいのよ、無理して言わなくて。――もしかして、隠し味に入れた砂糖の量が多すぎたのかしら?」
「いやいや、ちゃんと味も染みこんでてうまかったぞ。ただむせただけだって」
 砂糖入りなのかこれ。ちょっと苦手なんだよな、そういうの。ハチミツ漬けの梅干しとかは吐いたことがあるからな。
「そう、なら問題はないわね。はい」
 あーん。非常に自然な仕草で橘先輩はウインナーをつまみ、俺の口へ運んだ。因みにタコさんではない普通のウインナー。多分これはそのままボイルでもしたのだろう、いつものウインナーの味。じゃなくて、
「何で俺はナチュラルに橘先輩に餌付けをされているんだあああああ!!」
「餌付けとは酷いわね。恋人同士なら全て自分の手で食べさせてあげるのが常識でしょ?」
「そんな常識はない! 橘先輩もからかうのはもうやめて普通に食べないか?」
「そう……あんまり言いたくなかったんだけど」
 橘先輩はとても残念そうにこう言った。
「お箸……一膳しか持ってこなかったの。ごめんね」
 なんというドジっこ。――いや、橘先輩がそんな初歩的なミスをするだろうか? 考えにくいな。もしわざとだったら何という策士。といっても、これは俺の妄想以外の何者でもないのだが。
 こうなったら。
「――分かった。これは俺が全部食う」
「え――?」
 俺は答えを待たずに橘先輩から弁当と箸を奪って一気に頬張った。うむ、うまいじゃないか、このお稲荷さん。
「あ、ちょっと。あたしの分――」
「ほら」
 ここぞとばかりに俺は残っていた厚焼き玉子を橘先輩の目の前に持って行った。さっきのお返しだ。とくと食らえ!
 しかし、橘先輩はあまり驚かずに素直に口を開けた。なんと言うことだ。しかも目を瞑って待っている。ちょっと、なんか、ドキドキしてきた。
 俺は微妙に震える手つきで橘先輩の口の中へ玉子を運んだ。ぱくりと口が閉じる。そして橘先輩はにっこりと、可愛らしい笑顔で、
「おいしい」
 と言った。自分で作ったんだろと俺は苦笑した。



 一方その頃。



「むぐうううう……!! 畜生、スグルのやつ、鼻の下伸ばしながら食べやがって……っ!! ラクダより私が作った方がうまいだろうが!!」
「落ち着け。お前がスグルのために料理を作ったことがあるのか?」
「ないよ!」
「はあ……。なあ、これ以上見ててもストレスが溜まるだけだと思うぞ? オレ達もメシ食いに行こうぜ?」
「一人で食べてろ! ――あっ!? スグルのやつ、今度は自分からヤツの口に……!! なんてうらやま――馬鹿野郎っ!!」
「とにかく落ち着けよ。裏山がどうかしたのかよ?」
「何でもねーっ! カロリーメイト買ってこい!!」
「だから何でそういうことになるんだ……」






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