#3

 結論から言おう。俺の負けだ。
 いや、だってさ、パンクしたんだよ。自転車がさ、タイヤがさ、ゆっくりとさ、じわじわとさ。まったくいやらしいよな。だんだん漕ぎづらくなってきたと思ったらこれだ。
 パンクした自転車を必死に押しながら歩道を歩いているとふと思い出したことがある。それは一昨年ぐらいの夏休み。理科の自由研究のお題を、パンクした自転車の空気はどこまで持つのかというのを三人でやったわけだ。中学校はチャリ通だし、これはいける! って思っていた時代もあったさ。まあ誰のチャリをパンクさせるかとかじゃんけんで負けて俺のチャリに穴を開けることになったり更に一回だけでは不十分だとか一回計るごとに修理しなくてはならいけなかったりと、それらに気がついた時は既に遅し。夏休みを最高に無駄に馬鹿やって過ごしただけだった。そして今、そんなことを思い出したことに悪寒が走る。まさかな。あいつらだって、いくらなんでもそんなことするわけない……よ……な?
 不安を抱えながら公園に到着。とりあえず急いで息を整え、自転車を公園の入り口付近に置いて待ち合わせの場所に向かう。確か噴水の近く……だったかな? 俺はとりあえず噴水周辺まで歩くことにした。しかしながら、これが割といい運動になったようで、背中に汗がべっとり。ついでにお腹もぺっこり。
 待ち合わせ場所に着くと、そこには絶世の美少女と、いけ好かない男がベンチに座っていた。この美少女は薄い水色の上着にスカート姿で、肩から可愛らしいハンドバッグを掛けてペットボトルのお茶を持っていた。もちろん、この美少女というのは橘先輩なわけで、いけ好かない男は俺の知らない男なわけで。その男は馴れ馴れしく橘先輩の肩に手を回していたり。これは……。どういうことだ? おいおい、デートって言ったのはお前だろ。なんて魔女なんだ。
 と、一人ひがんで突っ立っていると、橘先輩と目が合った。そして女神の微笑み。すっと伸びた両足で立ち上がり、何事もなかったように俺のところへ歩いてくる。ちなみに男のほうは「は?」と摩訶不思議な顔をした。このときだけは男に同情できるな。
 橘先輩は俺の前に立って開口一番、
「遅い」
「――え? あ、ああ、ごめん」
 もちろん速攻で謝ったさ。これに関しては俺が悪い。そんなやり取りを呆気に取られて見ていた男が異議を申し立てる。
「ね、ねえ、もしかして……彼氏?」
 男は俺を指して言った。
「ええ、そうよ」
 うへぇ。やっぱり彼氏になってるのね。いや、もしかしたらこの男を遠ざけるための方便かも。まだ俺たちはお友達なはず……うん、やっぱり良いお付き合いをさせてもらうのはもっとお互いを知ってからだな、と思うよ俺は。
 男は鼻で笑い、
「冗談だろ? そんなつまらなくて、しかも遅刻するような男は放っておいてさ、俺と遊びに行こうぜ?」
「ごめんなさい、貴方と一緒に行くつもりはないわ」
「な、なんでよ? 俺の方が顔もいいし、そのジュースだって買ってあげただろ?」
 男は橘先輩が持っているペットボトルを指さす。どういうことになっているのか詳しく説明してもらいたい状況。
 橘先輩は嘲笑うかのように微笑み、
「あら。これは貴方が勝手に買ってきてくれたんでしょ? それに“馬鹿”とは付き合わない主義なの。さ、行きましょ」
 ズバッと男を切り捨てて橘先輩は歩き出した。慌てて俺もその後に続く。後ろから「待ってよ」とか叫んでいるが全無視だ。えー、ところで、“馬鹿”とは付き合わないとか言ったよな、橘先輩。自慢じゃないが、俺は馬鹿という自覚はある。なんせ浅馬鹿トリオのリーダーを務めさせて頂いたからな。今でも留年しないぐらいの頭脳を持っている訳だし、この前も人参を窓から投げ捨てたこともあったし、そのうち人参がうちの庭を占拠するかもしれないと思いドブの中にもう一度捨てたり……うむ、我ながら馬鹿だなあ。普通に生ごみに出せよって話。
 公園の出口を出たところで、橘先輩は俺の方を向いた。
「さて、どうして遅刻なんてしたのかしら?」
 いきなり冷や汗が出た。
「あー、いや、ここに向かう途中でチャリがパンクしてさ」
「本当にそれが原因?」
「ああ、チャリがパンクしさえしなければ間に合った」
 先輩はふーんと頷き、
「普通、余裕を持って出かけるわよね? 何で?」
 そんなギリギリに出たの、と彼女の目は言っている。理由を言え。吐け。私はお前の来る何十分も待っていたんだぞ。何が楽しくて下郎の相手をしなくちゃいけなかったんだと。ごめんなさい。
「いや、確かに俺は目覚ましをセットしたはずなんだ!」
 橘先輩はため息を付いた。
「呆れた。寝坊なんて」
「聞いてくれ! まず俺がセットをしないはずの時間に目覚ましが鳴ったんだ。夜更けにさ。で、またセットし直して寝たら今度は鳴らなかったんだ!」
 ここまで一気に言うと、橘先輩は急に納得した顔をした。あれ? もしかして、信じてくれたの?
「そう……戦いはもう始まっているという訳ね」
 どうやら違うところを納得しているようでした。
「じゃあ浅羽君はまだ朝ご飯食べていないのね?」
「え? あ、ああ」
 切り替え早!
「なら、先に食べていきましょ。作ってきてよかったわ」
「え?」
「じゃあ向こうに行きましょ」
 といって指さしたのは、一応この街の繁華街――とは逆の方向。むしろ港とか海岸とか、そういう今の季節だとちょっと寂れているようなところ。……うん、まあ別にいいけど。橘先輩が無意味にそこを選ぶわけがないし。
「――それじゃあ行くか」
「ええ」
 二人仲良く横に並んで歩く。それがちょっと恥ずかしかったり。



 一方その頃。



「くぁ〜〜……見たかよあの女! 男を利用するだけ利用してポイだぜ!? うぜぇ! 死ね!」
「あのな、お前だってスグルのチャリのタイヤに穴を開けたりとかしたじゃねーか。確実に追いかけられるように」
「それところとは話は別だと思うよ?」
「どっちもやってることはひどいと思わねーか?」
「私のは思わないよ」
「だろうな」
「何その反応。それはそれでムカつくね」
「ま、お前のほうが可愛いから許せるってことで」
「あ、そ。――お、星が動き始めたぞ! 者共、続けー!!」
「あんまり騒ぐと見つかっちまうぞ、まったく……」






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