#SS1 ある日のバレンタイン 「よ……ようやくできた……」 二月十四日。午前二時三十二分。 私は生まれて初めて手作りのトリュフチョコレートというものを作っていた。 最初は上手く丸められなかったり手にチョコがついてベトベトになったりコンビニまで行ってチョコを買い足したりしてたら日が変わってしまっていた。 苦労して出来上がった感動で涙が出てくる。 「後はこれをラッピングしてっと……」 ラッピングしながら想像する。これをあいつに渡したらどんな反応をするのだろう。私の心は自然と躍っていて、どうしても顔がニヤけてしまう。 「で……きたーっ」 ラッピングが完成し、改めて眺める。 うむ。実にひどい出来だ。適当に紙を折り曲げてセロハンテープで留めただけのラッピング。もう少しかっこいいラッピングが出来ないものか。 でも、いいんだ。 肝心なのは中身であり、渡すことに意味があるのだ。 張り詰めたものが切れたのか、あくびが出る。 「もう寝よう……」 しかし、周りを見れば使った器具や材料などがあちこちに散乱している。 散らかしてしまった以上、これらを片づけなければならない。 でももうそんな体力も気力もない。 「……明日でいっか」 既に明日になっているけどそんなこと気にしない。 適当にシンクに器具を運び布巾でテーブルを拭いたら電気を消して私は寝室へ向かった。 結局緊張して朝日が昇るまで布団の中で寝返りを繰り返していた。 適当に化粧を済ませて朝食を食べる。昨日中途半端になっていた洗い物はお母さんが片付けていた。 「頑張って作ったんだから、ちゃんと渡すのよ」 「う……うん、がんばる」 ドキドキしていた。秒針が一つ進むごとに緊張が一つ上がるような気がした。 「おう、明美。とーちゃんにあげるのにそんなに緊張しなくて良いぞ!」 「おとーさんに上げるチョコはねーから!」 「う、うわーん! 美子、娘が反抗期じゃー!」 「よしよし。あなた、そんなに泣く事じゃありませんよ。私のチョコを上げますから」 「よ、美子……」 「はい」 お母さんのエプロンから取り出されたのは、五円チョコ。流石だ。 「よ、美子……」 「さあ、明美。頑張ってね!」 「あ、うん……」 「よしこ〜! せめて、せめて手作りチョコをー!」 「あらあら。五円以上の価値があなたにあるというのかしら?」 「はいっ! すいませんでしたあ!」 お母さん、離婚だけはしないでね。それだけが私は心配です。 いつも通りに私はあいつの家へ向かう。鞄の中には教科書やノートの他にチョコレート。 緊張する。いつ渡そうか。朝に渡すと迷惑かもしれない。じゃあ放課後? まあそれが無難か。渡すまで私が管理していなくちゃいけないけど。 「よーアケミ! 今日も寒いな」 私に声を掛けてきたのはジュンだった。私とジュンはいつもあいつの家に行くまでの途中で合流する。 ジュンの右手に何か持っていることに気がついた。 「ジュン、何持ってるんだ?」 「これか?」 ジュンはそれを私に見せた。綺麗にパッケージングされた箱だった。 「チョコレートだよ」 「はあ、相変わらずモテモテだねえ」 ジュンは同級生からかなり支持率が高い。まず顔が良いし笑顔が爽やかだし料理も出来る。これでモテない訳がない。 「いんや、まだ女からもらってない」 「へ?」 「これはスグルにあげるやつ」 爽やかな笑顔でジュンは言った。これはなんて言うんだっけか。友チョコ? きっとそうなのだろう。そうに違いない。うん。 私は無理矢理納得するとあいつの家が見えてきた。 浅羽家。 そう表札に書いてある下のインターフォンをジュンが押した。 呼び鈴が鳴る。 緊張してきた。 暫くするとあいつの母親が出た。 「あ、ごめんなさいねえ、純君と明美ちゃんよね」 「はい。スグルはいつ出てこられますか?」 スグルはいつも寝坊したりトイレに入ってたりで時々かなり待たされるときがある。夏の日や冬の日は結構堪える。 「ごめんねえ、スグルのやつ風邪引いちゃったみたいで、今日は学校行けないの。だから先に行ってて頂戴」 ――え? 「そうですか、スグルのやつ大丈夫なんですか?」 「それが結構な高熱でね、もしかしたらインフルエンザの可能性もあるから。今日病院に連れて行かせなくちゃいけないの。もしインフルエンザだったら暫く学校に行けなくなるかもしれないわ」 「分かりました。スグルに馬鹿は風邪を引かないんじゃなかったのかと伝えておいて下さい」 「ふふ、分かったわ。寒い中ごめんなさいね」 会話が終わり、ジュンは私に向かって、 「ったく、しょうがねーなスグルのやつ」 「まったく、インフルエンザに負けてるようじゃ話にならん!」 内心私は動揺していた。昨日頑張ってチョコレートを作ったのに渡せないこともあったが、それよりもスグルの身体の方が心配だった。 早く元気になって欲しい。 その気持ちを隠しながら私はジュンと一緒に中学校へ向かって歩き始めた。ここから中学校へ徒歩で十分くらいの道のり。高校も出来たら歩いて行ける距離の所へ三人で進学出来たらなあと思う。 不意に、 「アケミはスグルにチョコ渡せなくていいのか?」 「ぶへぇ!?」 な、な、なぜそのことを!? 「おお、ビンゴか」 たぶん、今私は耳まで真っ赤っかになってるかもしれない。 「まあアケミが徹夜するなんて珍しいと思っていたし、この時期に徹夜するものと言えばテスト勉強か手作りチョコレートぐらいだしな。アケミが徹夜して勉強なんてするわけがないから手作りチョコレートだと言うことはすぐに分かったさ。問題は誰にあげるかだが……」 「べ、別にジュンの分もあるよ!」 私は鞄の中から小さく包装した箱を取り出した。因みに中身は余った板チョコだけど。 「お、さんきゅー。まあそれは置いといて、オレもちょっと困ってるところさ。別に親に渡しておいて下さいとお願いするのもいいんだけど、やっぱり直接渡したいよな」 私は頷いた。 「でさ、こういうのがあるんだけど」 そう言ってジュンはどこかの家の鍵を私に見せた。 学校ではインフルエンザが大流行と言うことで、今日の授業は午前中だけということになった。 そんな訳で放課後、私とジュンはスグルの家の前に来ていた。親の車はない所を見ると、家の中には誰もいないかスグルが一人でいるかのどちらかか。 ジュンは家の敷地ずかずかと入っていく。 「いいの?」 「鍵を渡されたんだからいいんだろ」 つまりいつでも入っていいよということなのだろう。こういう状況でも。 ジュンが鍵を使って家の中へ入る。中は静まり返っていて誰もいないかもしれないという不安が徐々に広がる。 「スグルの靴があるということは寝てるな」 ジュンはスグルの靴を見つけたらしい。不安が一気に消え少し一安心。 「じゃあオレはお粥でも作ってやるかな。アケミは先に見舞いに行ってくれ」 つまり先にチョコレートを渡してこい、ということだろう。 ジュンの奴め、いらん気を遣いやがって……。 まあでも、そこがいいやつなんだけど。 たぶん私は、たとえスグルが元気で最初の予定通りに放課後に渡そう思っていても結局渡せず仕舞いに終わる気がしていた。 せっかくジュンが時間をくれたのだ。 ちゃんと渡そう。 スグルの部屋の前に来た。 ノックをしてみる。 「かあさん? 意外に帰るの早かったな……」 どうやら母親と勘違いしている模様。とはいえ、いたずらする理由はないから私は素直にドアを開けた。 「――よ! 元気かスグル!」 いつもスグルに相手をしているテンションで挨拶してみた。 スグルはパジャマ姿でおでこに冷えピタを貼ってベットに横になっていた。 「おま、なんでここに……」 「スグルが風邪でバッタンキューしているというから、心配して来たというのにその反応……もっと喜ばないか!」 「うるせぇ……こっちは頭痛が酷いんだ……あんまり大声出すな」 げほっとスグルは咳を一つした。元気そうだったらこのままのテンションで行くつもりだったが、どうやら本当に酷いらしい。 「……ごめん。でも心配していたのは本当だから。大丈夫? 熱は?」 「うげぇ……アケミに心配されるとか……この世の終わりだ……」 「私だって人並みに心配するから! そこまで酷くないから私!」 「まあ……そうだな。すまん、悪かった」 「いいさ。別に気にしてないよ。私に何かして欲しいこととかある?」 「そうだな……少し黙っててもらえると助かるな」 「…………」 なんてこったい。ここまでうるさかったのか私は。 こうなったらやけくそになってやろう。 私は鞄から酷いラッピングがされた箱を取り出してそれをスグルに向けた。 「……え?」 「…………」 私は今、どんな顔をしているのだろう。 とにかくスグルの顔を直視出来ない。顔を横に逸らして早くスグルが受け取ってくれることをただただ黙って祈る。 「……ああ、そうか……今日は……」 持っていた箱の感覚が軽くなる。手を離してチラリと横目でスグルの方を見ると、 「……ありがとう」 そう言ってくれた。 目次 |